「コーチ! はげまし屋・立花ことりのクライアントファイル」 ― 2021/02/03 16:42

「コーチ! はげまし屋・立花ことりのクライアントファイル」
頑張れ頑張れ。あなたならできる!の励まし屋、アラサー女子のことりちゃんとクライアントの話です。
文芸雑誌に小説を掲載する、というのは私の目標のひとつでした。雑誌掲載という形が好きなのです。雑誌コバルトの掲載も依頼があったら断ったことはなかったし、シリーズ以外のものでもいいなら必ずシリーズ外の読み切りを書いていました。
もともと短編を書くのが好きだからね。
文芸誌に載る、というのは、一般小説を書くならクリアしたいステージのひとつです。
私にとってはもうひとつ、小説現代というのはセンチメンタルな目標でもあります。
私は2002年の小説現代新人賞の最終選考で落ちています。
発表があったのは2002年の春。
落ちて神を呪って小説家になるのをいったん諦めて、就職活動して、就職が決まったのでバイクで長期ツーリング行くことにしました。
行く前にまだ出せるの一本あったなと思って、集英社ノベル大賞に応募して、その足で北海道行きました。
帰って就職して忙しくしてたら集英社から電話かかってきて、それが集英社ノベル大賞の最終選考通過の知らせでした。
取れると思いました。
これはね、小説の神様の悪戯だと。あまりに私が神様を呪ったので、神様が焦って持ってきたものだと思いました。そして受賞しました。
それから少女小説一本でやってきたのですが、
時々ふっと、あのとき現代で受賞していたらと考えます。
私は潰れていたかもしれません。一線の一般小説でやっていくだけの技量はあのときの私にはなかった。受賞者を育てるという意識のあるコバルトだからやってこれたのだと思います。
それでもね。行かなかった道の先に何があったのだろうと考える。
確かなのは、あちらの道へ行っていたらヴィクロテは生まれていなかった。戦友のような少女小説家の友人、宝物である読者たちと出会えていなかったということです。
2002年に新人賞を取れなかった私が、2021年に小説現代に小説を載せることができました。
嬉しいです。書き続けて良かったです。
なんだか憑き物が落ちたようで、以前より力を抜いて書けるような気がしています。
原点 ― 2020/09/20 21:19
いろんな意味で悶絶する。
ヴィクロテは熱い。若書きでプロットが強引だったり文章のミスも目立つけど、キャラクターの熱量がすごくて気持ちを持っていかれる。
あのころの少女小説はこうだったんですよ。
少女小説、というくくりがこの数年、気になってならないです。
過去に、同じように一回、ヴィクロテをしっかりと読み返してみたことがあります。
ヴィクロテが終わった直後は解放された気持ちの方が強くて読む気にもならなかったんだけど、ひどいスランプになって、体調を崩して、そのときに久しぶりに読んでみたら、とても面白くて涙が出た。
これは私の代表作だと初めて思うことができた。
過去にこだわるのもよくないんだけどね。儀式です。
この物語とは何なのか、書いている間はわからないのかもしれません。
さて頑張って次の作品を書きます。
森若さんがドラマになったことは僥倖でした。
多部未華子さん、重岡大毅さん、すべての役者さん、スタッフの皆様に感謝しています。
この先、書くことで返していければと思います。
「嘘つき女さくらちゃんの告白」を書くにあたって ― 2017/01/20 20:27
昔の知り合いに、虚言癖の人がいました。
生い立ちだったり、仕事の経歴だったり。とても無邪気に、「自分をよく見せるための嘘」をぺろっとつく。
わたしはすごく不思議でした。
だってバレバレなんですよ。
初対面の人はもちろん気づかないから、「凄いなあ」「憧れちゃいます」なんて言っているんだけど、ちょっと長く一緒にいれば嘘だってわかっちゃうんですよ。
一緒に聞いている私が、いきなり「それってこの間の話と違いますけど」って言い出したらどうするんだろう。そういうことを、この人考えないのかなと思ってた。
一回だけ、嘘を私が指摘しちゃったことがありました。
何かの雑談で、その人が、ある小説のエピソードを自分の体験談として話したのですが、私はその小説をたまたま読んでいたので、「あ、それって○○にあった話ですよね」って空気を読まずに言ってしまった。
その人は「え?何言ってんの?ごめんね、この子ってちょっとおかしくて」って、私を変人にして乗り切ってしまいました。まわりは大爆笑。
こういうのって、神経質に設定を作り上げるよりも、その場の雰囲気をつかむことが要なんですね。
学びたくないけど学んでしまった。
で、もっと不思議なのは、
私以外の初対面じゃない人たちも、嘘に気づいているはずなんだけど、そうかそうかって話を合わせているところ。
こういうのって指摘しないもんなんだねえ。
で、指摘しなきゃ、それが事実として何の支障もなく進んでいくもんなんだなと。
それとも、おかしいと思うわたしがおかしいのか?
今でも思い出すと、ちょっと調子のくるわされる感じになります。なんだったんでしょうあれは。
「あの人」はひとりではありません。
今後いずれまた、このテーマで書きたいです。
森若さん、5刷になりました ― 2016/09/21 20:55

これで5刷になります。

バイクの話ついでに ― 2012/11/03 21:05
当時、ソロツーリングをするときは、泊まる場所を当日まで決めませんでした。
天気や体調で、走れる距離がわからないから。
だいたい私は、予定ってものに沿って動くのに向いてないのです。
予定を守らないから、ではなくて、予定をきっちりと守ることが最優先事項になってしまうから。
だから、人と一緒にいると、その人に予定を預けてしまって、自分はのらくらしてしまう。私と一緒に何かする人はいつもほんと、申し訳ないなと思います。
で、北海道へ行くときも、予定をたてませんでした。
適当に一周して帰ってこれればいいや、ってくらいで。
今思うと、宗谷まで行くなら、礼文島まで行けばよかったなあとか思う。ツメが甘い。
「あしたの城」はドミトリーの宿でした。
富良野から、稚内へ向かおうとする途中で泊まったような気がする。
私は、カルロス・リベラの部屋だった。
カルロスリベラかあー。
力石とはいわないけど、ホセ・メンドゥーサの部屋くらいには泊まりたかったなー。
この微妙さ、実に私らしいなとか思いながら、名物のミルク鍋を食べたのでした。10年前の夏。
この二か月後に、コバルトノベル大賞の最終選考に残りました、って電話を受けることになるとはつゆ知らず。
出したことすら忘れてました。
受賞したら忙しくて、長期ツーリングができなくなってしまったので、このとき北海道に行っておいてよかった、と思います。
まあ、そろそろバイクから降りる時期だったのです。
卒業前夜……じゃなくて、入学前夜、ってやつだったんだな、今思うと。
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